開発ツール選びって,深い
開発ツールは,一度入れると,そこには文化圏ができると思うんだよね。
プログラミング言語であれ,IDE であれ,どんな開発ツールにも,創始者の思想が根底にあるから。
それを採用する以上,開発ツールの思想から影響を受けざるを得ないし,自分たちのチームの仕事方法も,おのずと,開発ツールの思想に則ったものへと変わっていくだろう。
サラッと書いたけれど,これって実は,すごく大きな影響じゃないかな?
派閥づくり,運命共同体
いちど開発ツールの思想から影響を受けると,職場組織内には,同じ開発ツールを使うメンバーでの「派閥」みたいなものができると思う。
オジサンの職場トークになるけれど,同じ開発ツールを使うって,ある意味,運命共同体となること。
たとえば,開発ツールのサポートが打ち切られるアナウンスされたら,それまでに構築してきたレガシー資産をどうするかという議論では,それはもう一蓮托生だから,力を合わせて乗り切る気風(例:新しい開発ツールはどれにするか)が生まれるだろうね。
うまくやれば,自分たちを守るファイアウォールにもなる
ここまでに書いてきたように,開発ツール選びって,未来へ及ぼす影響の大きな意思決定。
ひとつの職場組織内でも,開発ツール「文化圏」ごとにルールが形成され,異なった価値観が育まれるから,面白いもんだ。
これって逆に言えば,自分たちのプロジェクトを「治外法権」にできるパワーも秘めている。
たとえば,旧態依然としたソフトウェア開発プロセス(注:決して,ウォーターフォール文化のことをディスっているわけではないけれど,ウォーターフォールのことを暗に指している)が標準とされる組織にいるとしたら,アジャイル文化との親和性の高い開発ツール(例:GitHub,コンテナ技術)を少しずつ導入することによって,開発プロセスを刷新する気風を作り出すこともできる。
開発ツール選びという意思決定を,うまく活用して,自分たちのやりたいことを実現しやすい環境を作り出していきたいよね。
今日はここまで。